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ODEN-KAN

架空鉄道<静岡県の架鉄>

「駿遠鉄道」「富井鉄道」のある世界。

相良発静弁行
「あぁ、寒い…」
いくら静岡が温暖とは言え、さすがにこの時季の朝5時ともなれば、吐く息も白くなる。
駿遠鉄道丸子運輸所の車掌・森勇太は、乗務する列車の待つ相良車両基地構内を歩いていた。

「右ヨシ、左ヨシ、入換停止ヨシ」
寒いからと言って、縮こまって喚呼する訳にはいかない。しっかりと指先まで伸ばし、左右からの列車の進行がないことと入換信号機の停止現示を確認しながら、庫10番線まで向かう。
しかしこの季節に庫10番というのは酷だ。出庫番線は日によって変わるのだが、庫10番は乗泊のある建屋からは一番遠い番線で、つまり今日の森は「運が悪い」ということになる。
森が列車に乗り込もうとすると、中から扉が開いた。
「おお、おはよう。」
馴染みのある顔がそこにあった。同期入社の運転士・末田俊晴だ。
「なんや今日はお前か。」
運転士と車掌の行路はそれぞれ違うので、乗車してみなければ分からない。同期とペアを組めた偶然を喜びつつ、悪態をつく。
「なんやとはなんだよ」
末田も怒った口調ではあるが、顔は笑っている。
「とりあえず早く入れよ。暖めておいたぜ。」
「ああ、ありがとう。」
運転士は出庫列車の乗務前には運転整備を行わなければならず、旅客関係の車内設備のみを点検する車掌と比べ、列車に乗り込むのは早くなる。
本来であれば空調の設定は車掌の担当だが、気の利いた運転士は予め設定しておいてくれるので、寒空の下を歩いてきた車掌にとっては助かるのだ。

森は客室内の照明やドア上のLED表示器を確認しつつ、後部乗務員室へ向かう。
運転室内の搭載品、後部標識、種別・行先表示、放送装置の確認を終えたところで、末田からブザー試験の合図が来た。森もブザーを送り返し、程なくすると列車は動き出した。
このまま相良駅に入線し、始発の新静岡行き普通電車となる。

―・・―(ブーブッブッブー)
発車を待っていると、末田からブザーが送られてきた。「電話機にかかれ」の合図である。
何か急用だろうか、急いで電話機を取る。
「森ちゃん、悪いんだけどさ」
「何や、どしたん?」
「新静岡に着いたら俺はそのまま袋井に折り返すんだけど、静弁を買ってきてくれないか?」
静弁とは、静岡の駅弁業者が売る幕の内弁当のことで、乗務員の間では親しみを込めてこう呼んでいる。シンプルながら一品一品が絶妙な味付けで、さらに制服で買うと200円引きになるというのも嬉しい。
森は新静岡で休憩を挟むので、自分の朝食のついでに買えば良い。どうせこの時間帯では他に開いている店も少ないし、ホームで調達できるので手間も省ける。
そんな事でいちいち電話してくるなよと思いつつ、末田の頼みを快諾し電話を切った。
そうこうしているうちに、間もなく発車時刻である。

いかんな、同期とペアだからと言って浮かれていては、足元を掬われる。
無事故で行かねば静弁も食べられない。
「開通オーライ!時刻オーライ!閉扉!」
いつもより大きな声で喚呼し、自分に気合いを入れる。

5時35分。待避の無い「最速各駅停車」は新静岡に向け、定刻に相良駅を発車した。