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ODEN-KAN

架空鉄道<富井鉄道>

車両型式。

特急用
【富鉄100系】
1987(昭和62)年の奥入〜長野田間電化開業に合わせ、三島〜長野田間で運行が開始された特急「まぶゆ」用に開発された。
この頃関連事業と合わせて過去最高益を記録していた富井鉄道が総力を挙げて開発した自信作だが、特急列車の設定本数が少なく3両編成1本の製造に終わった。
現在は200系とともに特急の運用に就く。
 【富鉄200系】
特急「まぶゆ」には1987年から100系が投入されていたが、その増発用に製造された。
1997(平成9)年に第1編成が、2001(平成13)年に第2編成が運転開始し、現在は100系との共通運用で特急として活躍。
【JR東日本185系】
特急「踊り子」として、東京〜長野田間を走る。
東京〜熱海間は伊豆急下田発着の編成に併結され、長野田へは普通車のみの付属編成5両が乗り入れる。
【JR東海373系】
特急「するが」として、静岡と長野田を結ぶ。
普通車のみ3両編成での運行で、静岡〜富士間はJR身延線の特急「ふじかわ」と併結運転を行う。
快速・急行・普通用
【富鉄2000系】
1969(昭和44)年、新幹線三島駅開業に伴う列車増発のために導入。富井鉄道初の20m車。
1次車と1978(昭和53)年以降に製造された2次車では仕様が大きく異なり、1次車はモーター出力100kWで吊り掛け駆動方式なのに対し、2次車では初めて中空軸平行カルダン駆動方式を採用、モーター出力も120kWのものを採用している。
駿豆線直通運用を基本とした3両固定編成で、MT比は1次車2次車とも2:1。
外観はどちらも鋼製車で大きな違いは見られないが、2次車では冷房装置を搭載したことからこの有無で見分けることもできた。
1次車は1997(平成9)年までに引退したが、2次車の3編成は現在も活躍している。
【富鉄5000系】

駿豆線・東駿鉄道(当時)直通快速用として、1991(平成3)年に登場。共通運用のため、東駿鉄道3000系及び伊豆箱根鉄道7000系と基本仕様を統一している。
TD平行カルダン駆動方式を採用し、モーター出力は2000系2次車と同じく120kW。起動加速度2.4km/h/s、設計最高速度120km/h。
車内はオールクロスシート(ドア間は転換クロスシート、車端部はボックスシート)で中間車(2号車)は指定席として運用。第3編成以降はラッシュ時の混雑対策として1・3号車(自由席)をロングシートに変更しており、外見上は戸袋窓の廃止により見分けることができる。
【富鉄6000系】
老朽化した1000系と非冷房の4000系を置き換えるため、1996(平成8)年に京王帝都電鉄(当時)より5000系を改造の上2両編成2本を譲り受けた。
軌間が違うため台車を別に用意する必要があり、以降の増備は6500系によって行われた。
【富鉄6500系】
非冷房車の4000系置き換えのため、1998(平成10)年に駿遠電気鉄道(当時)より2両編成3本を譲り受けた。
富井地区の普通列車の運用に就く。
【富鉄6550系】
自治体の援助による富井地区の列車増発に伴い、2001(平成13)年に東駿鉄道(当時)より1500系2両編成2本を譲り受けた。
6000系、6500系と同じく富井地区の普通列車の運用に就く。
過去の車両
【富鉄3000系・4000系】
修善寺〜月ヶ瀬温泉間複線化及び富井地区電化に伴い元・東急電鉄の5000系を譲り受け、3両編成の3000系は1984(昭和59)年、2両編成の4000系は1956(昭和61)年に運転を開始した。
3000系は3編成、4000系は5編成導入されたが、冷房化車両の導入などで2015(平成27)年までに全て引退し、現在は最後まで木日港線で活躍した4000系1編成が静態保存されている。
【富鉄1000系】
自社発注車と国鉄からの譲受車の2種類が存在した。
自社発注車はいわゆる「日車標準車体」とよばれる車両で、1960(昭和35)年の修善寺〜伊井間架線電圧昇圧に合わせて2年間で5両が製造された。
通常は2〜3両編成で運用され、1996(平成8)年に6000系に置き換えられるまで普通列車として活躍した。
また自社発注車とは別に、1965(昭和40)年と1966(昭和41)年に国鉄からクモハ11形電車4両を譲り受け、自社発注車と同様に運用した。
もちろん外見も異なっており、自社発注車が片側2扉であるのに対し譲受車は3扉である等、容易に見分けることができた。
なお譲受車は1987(昭和62)年に4両全てが廃車となっている。
【富鉄キハ580系】
1976(昭和51)年3月のダイヤ改正より急行「西伊豆」として運用するため、富士急行にて前年まで急行「かわぐち」として運行されていたキハ58系気動車3両(2両編成1本+予備車1両)を譲り受けた。
キハ200系時代に比べ大幅に車内環境が改善され、1987(昭和62)年の井中線電化まで三島発着の西伊豆アクセス列車として活躍し、その後はイベント列車等で使用されたが、1994(平成6)年に廃車となった。
【富鉄キハ200系】
1968(昭和43)年に小田急電鉄のキハ5000形気動車2両を譲り受けたもの。
翌1969(昭和44)年の東海道新幹線三島駅開業に合わせ、三島〜長野田港間直通快速「とみい」として運用を開始したが、内装等サービス面での評判が悪く、1976(昭和51)年のダイヤ改正で西伊豆アクセス列車の座はキハ580系に譲り、以降は1987(昭和62)年に引退するまで、非電化区間及び出口〜伊井間の普通列車として運用された。
【富鉄キハ100系】
1962(昭和37)年の木日港線開業に合わせ、東武キハ2000形に準じた設計で合計4両が東急車輛にて製造された。
1989(平成元)年の全線電化まで、富井鉄道の非電化区間の主役として活躍した。